奥日光 第一部式デザイン研究所 日誌
山行
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奥日光 第一部

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それは2017年冬のこと。

この記事を執筆する4年も前のことになりますが、冬になり始めたころ奥日光を散策した記録を写真とともに紹介します。

冬期の山行には少なくない危険・リスクがあります。事前に調査のうえ、自分の経験と体力を考えて、無理のない山行計画を立て、ご自身の判断と責任で登山をおこなってください!

日光駅

奥日光_JR日光駅_式デザイン研究所

澄んだ早朝の日光駅、もとい寒々しい早朝の日光駅。

空気が冷え切った冬であっても朝早く出発しなければいけないのが、山行の悲しいところです。

奥日光_JR日光駅_式デザイン研究所

東日本旅客鉄道(JR東日本)日光線の終着駅である日光駅

現在の2代目駅舎は1912年(大正元年)8月25日に落成したネオ・ルネサンス様式のハーフティンバー様式木造洋風建築2階建てらしく、実際にレトロな建物。

戦場ヶ原

奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所

バスで第二いろは坂を通り、華厳滝・中禅寺湖を通過し、今回の山行の出発地である戦場ヶ原に向かいます。

日光駅も十分寒いですが、赤沼茶屋前でバスから降り立った戦場ヶ原は身を刺すような寒さで、つくづく研究員は冬が苦手だと痛感します。

奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所
奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所
奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所

冬を迎え、荒涼とした戦場ヶ原。

空は澄んでいますが、それが戦場ヶ原の広さを明白にし、木道を歩いているのにも関わらず少し怖いような孤独感を感じます。

落葉した木々と冬枯れした草が茂る湿原に時おり吹く風だけが、静寂を破っていきます。

奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所
奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所
奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所

戦場ヶ原の真ん中を木道に並走して、湯ノ湖から流れる湯川が静かに流れていきます。

野鳥には詳しくはないのですが、水面を水鳥が泳ぐのを目にするとなんだかホッとします。

奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所
奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所

戦場ヶ原はかなりしっかりと木道が整備されており、追い越しや離合で困ることはなさそうです。この時は周囲に人は全く居ませんでしたが。

奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所

この後登る前白根山方面を望む。

目に写るのはおそらく外山。遠目で見るとただの冬枯れの山に見えるのですが、実際に登ると予想は大きく覆されます。

奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所

木道だけではなく、普通の地面も歩きます。

軽く凍結した地面がシャリシャリといい音を出してくれます。溶解すると足裏に纏わりついてくるに違いありません。

奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所
奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所
奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所

川沿いの霜の降りた木道。

滑って川に転落しようものなら、即帰宅を考えます。

踏み外したら木道で脛などを強打しそうですが、精神年齢子供の研究員はコケるスリルを味わいつつ、小走りで先を目指します。

奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所

途中大きな段差が滝のようになっているところもあり、しっかり整備された遊歩道ですが、見どころも多いです。

湯滝

奥日光_戦場ヶ原_式デザイン研究所

戦場ヶ原から通ずる木道の終着点に湯滝があります。

奥日光_湯滝_式デザイン研究所
奥日光_湯滝_式デザイン研究所
奥日光_湯滝_式デザイン研究所

栃木県日光市奥日光地域の湯ノ湖の南端から流れ落ちる滝。「湯滝」。

「湯ノ湖」から流れ落ちる「湯滝」ですが、残念ながらお湯が滝になっているわけではありません。

落差70mで水量も豊富、デッキが整備されており、迫力ある滝に十分に接近してみることができます。

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ABOUT ME
研究員
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式デザイン研究所
平地では好山病に苦しめられ、高地では高山病に苦しめられる高所恐怖症の山歩く人。 登山初心者として身の丈に合った山を歩きながら、時折写真を撮影。 地方出身の生粋の田舎者・芸術系学部卒・主に工場勤務(バックオフィス含む)。 大学卒業後は、北関東から九州北部の工場勤務を転々としながら、休みの日に山を歩くことで精神的なバランスを維持している典型的な仕事できない勤め人。薄給にもかかわらず物欲に支配され、資本主義の罠だと理解しつつも抜け出せない悲しい現代人。
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