黒部・下ノ廊下 第五部
素人の山行「黒部・下ノ廊下」も第五回となりました。
今回は関西電力黒部川第四発電所から宿泊地の阿曽原温泉小屋となります。
予防線となりますが、関西電力仙人谷ダム付近から関西電力職員宿舎までの写真がほとんどありません。最後の峠に精神をやられ、写真を撮る余裕がありませんでした。
「黒部・下ノ廊下」は毎年関係各位により大規模に登山道が整備されますが、転落すれば生命にも関わることから、俗に「黒部では怪我をしない(死亡する結果となることを意味する)」とされ、それなりの体力と装備を要する登山道です。遊歩道ではありません。事前に調査のうえ、自分の経験と体力を考えて、無理のない山行計画を立て、ご自身の判断と責任で登山をおこなってください!
黒部川第四発電所
何やら、秘境に似つかわしくないものが山からせり出しています。
明らかに人口物ですが、何なのでしょうかとも書かずとも「関西電力黒部川第四発電所」です。
「くろよん」の愛称で知らない方は少ないくらい有名なのですが、外観をイメージできる方そう多くないでしょう。
発電された電力を都市部に送電する北陸幹線の送電鉄塔へのアクセスのため、歩道には梯子が所々で設置されていますが、もちろん登山者は使ってはいけません。
近くに寄ってみると、おにぎり型のトンネルであることが分かります。
アップしてみるとトンネルの口から対岸に向かって線が渡されていることが分かります。
これが、関西の高度経済を支えた送電網の始まりの地点となります。
関西電力黒部川第四発電所は山の地下深くに設置されており、発電された電力はこのトンネルから地上に出た音、高電圧の送電塔を伝って関西へと向かいます。
雪深い地域を考慮してか、上部から雪が落ちてきても送電線を守ることができるように考慮した結果の形状のようです。
こんな山奥で誰にアピールしているのかは知りませんが、大きく「関西電力」と黄色の文字が平面ではなく、浮き出しの形で表現されています。
遠目から見るとそう大きくはないように感じられますが、施設の設備の大きさから推察すると文字の高さは人の背丈を優に超えるような大きさです。
この送電線出口の大きさも縦横20mくらいの大きさがありそうです。
関西に電力を送り出す関西電力黒部川第四発電所とその送電線を受け止める対岸の送電塔。
そして、その脇を一気に標高をさげて下っていきます。
東谷吊橋
そして見えてくるのが、東谷吊橋です。
このコースで唯一右岸に渡河するポイントになります。
下草から垣間見える姿は一見普通の吊り橋のようにも見えるのですが、期待は裏切られます。
近くに行って確認すると見事に高所恐怖症泣かせの吊り橋でした。
踏板は幅50cmくらいでしょうか。不安になるような薄さです。
対岸とを渡しているワイヤーは結構な太さなのですが、踏板を吊っているワイヤーが細く、欄干は上段と下段にワイヤーを張ってはいますが、申し訳程度です。落下防止に貢献してくれそうにはありません。
長さとしては優に50mはありそうです。スパンが長いためよく揺れますし、横風を感じることもあります。
高さも結構な高さがあります。川の水面から15mくらいはあると思います。
橋の上からの写真撮影には注意が必要です。
対岸の下流側の護岸の上部が広場になっているのですが、東谷吊橋を撮影するのにいいポイントでした。
写真容量を圧縮したのでとっても残念な空の色となりましたが、黒部川第四発電所と東谷吊橋同じフレームに収めることができました。
空には関西までつながる送電線がはっきりと確認できます。
東谷吊橋を渡河する登山者のシルエットと黒部川第四発電所の組み合わせも悪くありません。
周囲は黒部川開発の際に使用されたと思われる遺構が残されています。
コンクリート部分はまだまだ大丈夫そうですが、かなり朽ちてきているのは確かなので近付きすぎるのは危険かもしれません。
そんな遺構の一部であるトンネルをくぐり仙人谷ダムを目指します。
古いコンクリートの構造物はその周囲をかなり植物で覆われており、廃墟とはちがう枯れた雰囲気を漂わせています。
夕方であれば雰囲気がありすぎて怖いかもしれません。
ここから仙人谷ダムまではよく踏み均された道幅の広い道を進みますので、緊張するような場面はありません。
写真を撮っている部分は半地下のような構造でしたが、奥は100mばかり真っ暗な道が続きますので、不安な人はライトを使用することをお勧めします。
これも大きな沢というか谷なのでしょうか。
名称はついているとは思いますが、いい景色だなとしか思いませんでした。
長い歩行と緊張感から、安心できる歩道では注意や好奇心があまり湧きません。
カフェインが多い飲料を飲んで、カフェインが切れたような後の感覚に陥りつつありました。
仙人谷ダム
仙人谷ダムが見えてきます。大きさからするとダムというより大きな水門という感じです。
仙人谷ダムは1940年竣工なので、黒部川第四発電所とは違い、戦前に開発された施設となります。
土木学会の「日本の近代土木遺産―現存する重要な土木構造物2000選」に認定されているようです。
鮮やかすぎる コバルトブルーの水面に 堆積しすぎた土砂が見えます。 そのうち浚渫して行くことになると思うのですが、どのような手順で行うのか興味があります。
もっと寄ってみます。
対岸にはダムを管理するための施設と思われるものが見えます。
下段の作業スペースらしき場所に何か変わった形の小さなユニックが置かれています。これで水面のゴミ等を表のでしょうか?
管理棟は色といい大きさといい、少し古いアパートのようにも見てしまいます。
さて視点をこちらに移して、左岸側の様子はこんな感じです。
堤体上を渡るため、堤体の登るための階段が設置されています。奥には工事用の車両が幾台か見えますが、登山者は手前の規制線を越えて奥に行くことはできません。
堤体に登るための階段は、いたってシンプルな鉄製の階段です。
階段を上ってすぐのところに、「登山者の皆様へ」と書かれた案内表示板が掲示されています。
案内板には仙人谷に付近の登山道見取り図が載っており、この見取り図の赤線の部分を通って阿曽原へ抜けていくとになります。
途中に所々分岐はあるのですが、安全のため赤戦で示されたルート以外を進むことはできません 。
可能であったとしても関西電力の方々に迷惑をかけるため固め入っていかないようにしましょう。
また、実はこのダム管理所の屋根の上から雲切新道に入ることができますが、この案内板には載っていません。案内板はあくまで欅平方面に行く方用の案内板となります。
ダムの堤体の上は、両側にはしっかりと鉄製の欄干が設置されており意図的に超えない限りは転落するということはないと思います。
塗装は所々剥げていますのであまり触れないようにした方が良いかと思います。
携帯の上から貯水池の反対側を覗き込んでいます。
やはり仙人谷ダムはダムというだけに、川の流れをせき止めているのは事実です。
この仙人谷ダム周辺で人工的に水流れを変えています。下流側を覗くと、枯れた黒部川の谷底を垣間見れます。
多くの水が盛大に流れをしている部分は、人間が人工的に水路を作り、そこから放流しているためです。
堤体の上から下流側を見ると、橋が架かっていることが分かります。
この橋2段構造となっており、上部は屋根が掛かり人間が通行することができます。また下段は送水用のタイプとなっております。
遠目から見るとあまり大きな橋には見ないのですが、橋の上部の通路は関西電力黒部専用鉄道の車両が通行できる線路が引かれており、この写真の印象よりはるかに大きな始まります。
おそらくこの橋が小さく見える理由は、普段見ることのないような大きな道管が橋の下部に。通っているからだと思われます。道管の直径は4mあっても不思議ではありません。
再び、堤体の上から覗きこみます。
1940年に建設されたことからか、このダムかなり自然の地形の形状を残したまま建造されていることが分かります。
ダム直下は水流で地盤が削られないようにコンクリートで固められていますが、その形状はもともとあった谷の形状から大きく工作された感じではありません。安定した岩盤の上にコンクリートを載せただけといったような印象を受けます。
矢印に従い扉を開けて建屋内部へと進んでいきます。
「これ、登山道なんだよなぁ?」という疑問を湧かせつつ、勝手に他人の家に侵入する心境で恐る恐る扉を開けます。
扉をくぐり右側を向くと、こんな光景が広がります。
どうやら仙人谷ダムは近代化産業遺産に登録されているようですが、こんなところにプレートが掲げられています。
文面から対外的なアピールではあるようですが、電力会社の社員を除けばいったい何人の方が目にしたのでしょうか?
奥に歩道の案内が見えます。
悪の何用だかわからない線の集合体も大胆な仕事ぶりがうかがえます。
歩道の照明用電源の分電盤も塗装は剥げてめくれあがっています。
いくら登山者に通路として厚意で提供しているだけとはいえ、足を踏み入れていいのか不安になります。
コンクリート打ちっぱなしのゲームのダンジョンのような通路を進みます。
進んでいくと湿度と温度が上がったのが如実に分かります。
少し息苦しく感じる方もいるかもしれません。
高熱隧道
撮影しようとすると、カメラのレンズが曇ってしまいました。
ここはロッジくろよんで登山者と思われる幾人かが手にしていた「高熱隧道」の舞台となったトンネルのすぐ近くなのです。
時折熱風が吹いてきます。温泉特有のにおいもします。
写真の右手が黒部川第四発電所に通じています。左は欅平に向かっています。ここで関西電力黒部専用鉄道と通路が水平に交差します。
窓のようなところはダムの堤体上部から見えた橋の屋根のかかった部分となります。この橋自体が駅として機能しています。
ゲームのダンジョンみたいな通路を進んでいきます。
途中何本も脇道がありますが、表示に従いまっすぐに進みます。
脇道に逸れてみたい誘惑はあるのですが、隧道の奥から流れてくる熱気とモラルの力で案内に従います。
この扉からトンネルの外に出ます。
熊が出るようなので、扉は必ず占めてくださいとのことでした。
なにやらトロッコの操車場のようなところに出ました。
さらに進むと山奥に似つかわしくない大きな建物が見えてきます。
「関電人見平宿舎」で発電事業で黒部に入っている関西電力関係者の方々の為の寮となっているようです。
究極の職住接近の姿の一つだと思います。
この寮ですが、近くに温泉が湧いているということは浴室は温泉が出るのでしょうか?また、冬は雪深い地ではありますが、寮は地熱で冬でも結構暖かかったりしないのでしょうか?
そう考えると結構うらやましいようにも思えてきます。
ここから阿曽原温泉まで峠を越えてゆくのですが、関西電力の寮を過ぎると約100m程の急坂を登り、登った分を阿曽原温泉小屋に向かって緩やかに下るという精神的な攻撃を受けます。
研究員は急坂を目にしたときカメラを出す気を消失しました。
ここまでを考えるとそんなに危険や見どころはないのですが、それでもそこそこ危険な個所もあるので、注意は必要です。
体力を奪われると思考は簡単に鈍ります。
とりあえず撮ってみた一枚です。
そこまで大きくはないですがちゃんとしたトンネルが突如山の中に現れます。
阿曽原温泉小屋
峠を登り、そして下った先に阿曽原温泉小屋はあります。
旧い重量鉄骨の組み立て式建築で、強固なコンクリート基礎の上に木材やコンクリートブロックで水平を出した上に設置されています。
冬の間の豪雪から小屋を守るため毎年夏になると組み立てているそうです。
結構古いものらしくそれなりに傷んでいます。壁及び床や天井の薄さは気にしてはいけません。隙間風や虫の発生は気にしてはいけません。
本来12人が泊まれるスペースの宿泊室4部屋に約100人が宿泊します。用意される布団は二人に一枚で、寝転がると他人を踏まずに通路に出るのは困難です。
コンクリート基礎は黒部川開発時の宿舎の基礎をそのまま流用しているようですが、この基礎の上に立っていた宿舎は当時の雪崩でそこに詰めていた作業員ごと消失しています。
結構な悲劇の舞台ですので、気になる方にはお勧めできません。
小屋のご主人・佐々木 泉氏の歓迎のあいさつと黒部の注意点の後に夕ご飯となります。
供される夕食は阿曽原温泉小屋名物ポークカレーとサラダ。1回戦30分カレー・ライス食べ放題でした。宿泊客が少ないときは豪華になるときもあるようですが、訪ねたのがハイシーズンの土日ということで山小屋では定番のメニューとなりました。
小屋から阿曽原谷を見渡せます。
阿曽原は字のごとく谷の中腹にある、平坦に広がった土地を指しているようです。
小屋から一段下がったところには幕営地が広がっており、トイレと水場も設置されています。
温泉はさらに下ったところにあります。
そして、小屋から歩いて10分ほど下ったところにこの山行最大の楽しみである温泉があります。
屋根はなく、照明もなく、更衣室もありません。実に野趣に富む温泉です。浴槽とすのこ、そして洗面器だけが用意されています。なぜか看板はしっかり用意されていました。
すのこの上で着替えて、お湯を被ったらそのまま入浴という、スタイルはいたってシンプル。
入浴時間は男女で1時間ごとの交代制で、午後8時以降は混浴となります。山中の谷なので暗くなるのが早いため、ライトは持って行った方がいいと思います。
浴槽の大きさは足を延ばさなければ15人くらいは一度に入れます。浴槽の模様は、以前浴槽が損壊したのをモルタルで補修した跡のようです。
写真奥が山手で、手前が谷になります。
写真を撮っている研究員のすぐ後ろは谷となっており、草が生えまくっていますが、何とか黒部川も確認できます。
手前のホースが温泉となっており、湯が少ないと思ったら浴槽に入れます。奥のホースはどこかの沢につながっているみたいで、湯が熱すぎると思ったらホースの口を浴槽に向けてお湯を割ります。
両方とも蛇口などないためかけ流しとなっており、流れてくる湯か水を任意に浴槽に投入するといういい加減さ。
浴槽のお湯も淵から谷の方へ勝手に流出しているので、何とも贅沢な温泉です。「湯水のごとく」という言葉の意味を身をもって知ることができます。
奥にはシートが掛けられたトンネルがあります。
この奥に湧いてきた温泉を貯めておき、熱すぎる源泉を冷却しているようです。
覗いてみると内部は完全に蒸気で満たされており天然のサウナ状態でした。ガス等が発生していないか不安だったので、覗くだけに留めておきました。
黒部・下ノ廊下 第六部